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又信会員A la Carte

車と私
風間達夫さん


車と私の付き合いは、20歳台後半で運転免許証を取得してからもうかれこれ60年近くになる。今でも安全運転とマナーを心がけて日常いそいそとハンドルを握っている。自分の人生の大半は車と共に過ごしてきたといっても過言ではない。現在、自家用乗用車の世帯当たり台数は全国平均で1.095台、最も多い福井県で1.751台、最も少ない東京都で0.51台、1台を越えているのは42道県とのことであるが、まさに現在は車社会である。

この長い車人生の間に、車をめぐっていろいろな出来事があったが、印象に残っている幾つかの体験とそれに関する雑感を記してみる。

◇昨今の楽しみ
80代半ばになった私の楽しみの一つは、よく晴れた日に「富士山」に逢いに行くことである。定番のドライブコースは、金沢八景(自宅)〜湘南国際村(横須賀)〜立石公園〜逗子・鎌倉海岸〜稲村ケ崎〜江の島・・・帰宅。特に小高い丘の「湘南国際村」、白波の打ち寄せる「立石公園」、史跡「稲村ケ崎」から相模湾越しに遥かに秀麗な富士山を眺めていると心が温まる。子供の頃、駿河湾を隔てて富士山を仰ぎながら育ったのでこの美しい姿は何時までも心の郷愁となっている。このように車は足腰の衰えをカバーして人生の楽しみと豊かさを与えてくれる。

◇マイカーの変遷
戦後高度成長の初期1955年頃静岡運転試験場で免許証取得後、しばらく原付自転車やスクーターなどを乗り回していたが、1959年横浜に転居後、十年程経った頃マイカーを取得し、以来今日まで約40年に亘って運転を続けている。最初(1971年)に購入したのは日産「サニー」である。その後「ブルーバード」を何台か乗り継いで現在7台目。日産自動車追浜工場が直ぐ近くにあり、横浜に住む者として日産系の車に親しみを感じている。

初代の「サニ―」はよく働いてくれた。特に1973年.1975年の2年余の関西勤務の時には、毎日の通勤以外に、休日には妻を助手席に、よく京阪神・泉南方面の名所旧跡巡りをした。又、盆や正月には、横浜.大阪間約550kmを東名・名神高速道路をゆっくり9時間程かけて何回も往復したものである。冷房なしの車なので真夏はウインドウを全開して自然の風を受けながら軽快にハンドルを握った。最近の車は性能がよく殆ど故障がないが、当時はエンジンの調子が不安定で、始終ボンネットを開けてオイル、冷却水、点火プラグなどの状況の点検を行っていた。パンクしたタイヤの交換はジャッキを使って汗をかきながら自分で行ったものである。

現在の愛車は「ブルーバード・シルフィ」。もう4年半も乗っているが、エンジンの故障もタイアのパンクもなく極めて快調に走り、普段はショッピングや四季の公園めぐりなどに付き合ってくれている。

◇道路の昔今

私の子供の頃(昭和初期)は、学校から帰ると鞄を置くや否や、すぐ表の道路にとび出し夕方日の沈むまでよく遊び回ったものである。港町の一般道路であるが、自動車は殆ど通らず偶に荷馬車や大八車が行き交う程度で子供たちの格好の遊び場であった。当時、自家用車を持っているのは、会社経営者か医者など極限られたほんの一部の人達で、一般庶民には自家用車なんて程遠い夢の夢であった。

それが半世紀を過ぎた現代では、車の保有率は一世帯あたり略1台で、庶民の昔の夢は現実化したが、一方、狭い国土に車が溢れ、町中の道路は車に占領され子供の遊び場は片隅に追いやられてしまったようである。

◇車の盗難

1981年の正月早々車の盗難にあった。何時もの駐車場から大事にしている愛車の姿が忽然と消えていた時にはさすがにショックだった。早速近所の交番に盗難届を出し、自分でも念のためあちこちを毎日のように探し回った。2か月程経った頃、交番から車が見つかった旨連絡があったが、我が家からなんと僅か200m程離れた近所の診療所の駐車場に乗り捨ててあったのである。車体は汚れ、タイヤはパンクしており、無残な姿で置かれていた。ドアのキーの差し込み口のあたりに少し引っかいたような跡がついていた。幸い車両保険をかけてあったので、盗難による経済的な損失はなかった。

統計によれば、2004年の自動車の盗難件数は約58700件でそのうち42700件(72%)はドアをロックした状態で盗まれているとのこと。A la Carteこの背景には通常のキーを打ち破る特殊な窃盗技術を持ったプロの窃盗グループによる犯行の増加が考えられる。その後、特殊なキ―やイモビライザなど盗難防止装置のついた車も開発され、駐車場にも監視カメラ、夜間照明を設置されてきたので、盗難件数も2009年には約25000件とかなり減少してきている。

◇追突事故

今まで追突や接触されたことは軽微なものも含めると10件近くあった。

一つは1980年頃、国道134号線の七里ガ浜に沿って走行中のことである。渋滞のためゆっくり進んでいた時、突然後ろからドーンとショックがあり、その弾みで私の車は前の車にも追突した。警官立会いで検分の結果、追突した車の運転者は海の景色を見ていて前方不注意が原因であった。追突車を運転していたのは若い学生でしかも友人から借りてきた車とのことなので、各車両の損害処理をめぐってトラブルが生じ、解決に時間がかかり後味がよくなかった。低速追突のため鞭打ち症など身体上の障害がなかったのがせめてもの幸いであった。

もう一つは、2004年、国道16号線の磯子付近で信号待ちしていた時のことである。信号が青に変わったので、ゆっくりと発進し始めた途端にドンと追突された。追突者は若いビジネスマンであったが、急発進した自己の落ち度を素直に認めて謝り、その処理が極めて低姿勢で手際よく車の修理もスムーズに終わった。事後わざわざ手土産をもって訪ねてきたりして気遣いがあり何の拘りも残らなかった。

この世には兎角自分本位の人が多い中、このように素直で心遣いのある人に接して何となく快さを感じた。

◇運転と身体的適性

今もって視力には自信がある。昨年の高齢者講習会で受けた適性検査での視力(通常・静止・動体・夜間)はいずれも平均以上であった。若き学生の頃は視力が2・0もあったので、射撃部に編入され、恒例の射撃大会(三八式歩兵銃の実弾射撃)で県代表に選出されたこともあり、その素質が長く維持できたようである。今でも毎日大空を見上げて雲の写真を撮り続けている。ゴルフの時、ボールの行方はよく見えるが、方向が定まらないのが難点である。

私は「酒気帯び運転」の可能性は限りなく0である。体質的に超アルコール過敏症で、全く酒に縁がなく、時たまの宴会での乾杯でビールをほんの一口飲むこともあるが、いつもはウーロン茶やジュース党である。従って家族も回りの人達も安心している。ゴルフで遠出した時にはよく上戸仲間から運転を任されたものである。

◇車両番号

愛車の車両番号は8833のゾロ目のラッキーナンバーである。その上車台番号は009999で奇遇な数字に恵まれた。それ以来、他車のナンバーにも興味をもち始めたが、単に1とか1234とか1000とか7777とか面白い番号を見かけることがあるが、人によっては好みのナンバーを有料で手に入れるとのことである。イギリスではすれ違う車の末尾の番号が、奇数か偶数かで賭けの対象にしているという。

一般生活や自然現象でも、普段何気なく見過ごしている事柄も気をつけて見直してみると、改めて違った味わいが生じてくるものである。

上述のように車との話題は尽きないが、いずれ体の衰えと共に間もなくマイカーを手放さざるを得ない時期くるであろう。90歳になってまだ矍鑠とハンドルを握っている近所の先輩を見ると心強いが、既に運転免許証を返上した仲間もいる。

日進月歩の車社会の流れを見守りながら、これからも豊かさをエンジョイしていきたい。

 
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