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又信会員A la Carte

『自己感情制御力』

金崎孝一郎さん


自己感情制御力、言い換えればセルフ・コントロール・パワーとでもいう一種の精神力であるが、この力がとみに弱まってきたことをここ数年自覚するようになってきた。加齢とともに肉体的に衰えるだけでなく精神的にも衰えるのは自然現象、神の計らいのようにも思える。
しかし、この精神力の弱化も気持ちの持ちよう、あるいは気持ちの切り替え、鍛錬の仕様次第では乗り越えることも可能ではないか、乗り越えなくとも弱化を防ぐことが可能ではないか、とも考える。

1. 弱化の例
(1) 2−3年前都内で会合があり多少のアルコールが入った状態で帰路に就いた。自宅の最寄のJR駅では週末の夜11時前後は小生と同じような酔客を含め多くの乗客が改札口に殺到する。自動改札は7−8箇所あるが、その前は整列もなく渾然としており阿吽の呼吸で皆つぎつぎと改札を潜り抜ける。
 私の前の乗客が切符に不具合があったのか改札口の扉が急に閉まり停止したので、私は右横の改札口に回ろうとした。するとその改札口の前で雑然としているところ2−3人ほど後ろに居た、年の頃40−50歳の会社員が私を乱暴に押しのけて改札を通過した。私は横から入る形になるのでその人を通させその後ろから改札を通った。ここまでは止むを得ないと思ったが、内心は随分と失礼な人だな、押しのけなくとも数秒もすれば改札を通過できるのにと思いつつその人物を睨んでいた。
 駅構内を出てバス停留所の方に急ぎながら、その人を遠目に睨みつけているとその人物が近寄ってきて文句をつけた。その場で口論となったが、私は眼が後ろについているわけではない、貴様が来ているのは気がつかないのは当たり前だ、そのようなことを言い自分の正当性を主張したように記憶する。しかし、先方も当方も多少アルコールが入り酩酊していたので、私の血圧はぐんぐん上昇して行き、本当の気持ちとしてはビル陰に行き一対一の決闘をしたい気持ちであった。しかしそこはぐっと我慢して殴り合いのケンカをせずに口論だけで終わった。しかし気持ちは釈然とせずカッカしどうしであった。もし殴り合いになっておれば、正義はどちらにあったかは別にして、酔客同士の喧嘩により警察に保護された中年男性とでも新聞の地方版三面記事に掲載されていたかもしれない。
 自己感情制御力と大仰なことを言わずとも、ただ単に臆病だけでなかったかと、からかわれれば、その通りであるが。

(2) 涙もろくなったこと、涙腺が緩んできたことは2−3年前以上からである。数年前の「又信東京」に寄稿した駄文にある映画を見て大いに涙したことを書いたが、それから数年後の現在では益々涙腺を制御する神経は衰退・退化する一方である。
情緒豊かといえば聞こえもいいが、そんなにカッコいいものではない。TVドラマなどの展開に対して感情移入しやすくなっているならまだ理解もできようが、最近ではニュース中の2−3分のドキュメンタリー映像を見ても涙が出てくるときがある。或いは日本の民謡、童謡を聴いても感情が揺さぶられるときがある。上記の「怒り」の制御とは異なり、「哀しみ」に対する感情は明らかに制御不能になっているのである。

2. 制御力の獲得
数年前インド仏教の警句を取り上げて「怒るな」という解説した書物の新聞広告を何度か目にするようになって以来(スリランカ仏教会の長老スマサナーラの『怒らないこと』)、自分自身の生活感情と照らし合わせて「怒り」という言葉が気になっていた。
今年2011年になりNHK教育テレビ『100分で名著』で「ブッダ 真理のことば」を取り上げている番組を偶々視聴する機会があった。花園大学教授の佐々木閑氏の解説で中村元訳「ブッダの真理の言葉・感興のことば」なども参照しつつ、原始仏教『ダンマパダ』ブッダの教えを説明されていた。
 「生きることは苦である」「"苦しみ"を消すには、自分自身を変えるしかない」「仏教は『心の病院』である」「怒らないことによって怒りにうち勝て」などなど珠玉の警句・名言に深く感動しながら、そしてテキストも購入してこれらの教えが合理的思考方法に基づくものであるとの解説に納得したものである。問題は実践方法である。

3. 結論
加齢とともに感情的に所謂「キレル」(感情を制御できなくなり爆発させる)場合が多くなってきたことを実感する今日この頃である。世間社会でも老人のキレル現象がよく話題になっている。
 しかし、涙腺がもろくなって一人感情を昂ぶらせ涙するのは他人に迷惑をかけるわけではないので問題ないと思うが、他人との関係で感情を切れさせてはいけない、このような怒りは、年が行っても制御しなければ行けない、そのためには仏教でも何でもよいが、精神を鍛錬することで重要と自覚した次第である。

生身の人間である以上、喜怒哀楽を制御する道は平坦ではない。しかし、努力を継続したいと思う。

 
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