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又信会員A la Carte

センチメンタル・ジヤーニー
舩越寛三さん


五年前の六月に娘と妻と三人で家族旅行をした。

マンハッタンの画廊で娘がイラストのグループ展に出展するのにあわせて、われわれ夫婦も懐かしのニューヨークへ同道したのだ。南は鹿児島から北は北海道の若手イラストレーター十一人が、チェルシー地区での展覧会を開催したのだ。みんな一応NYアカデミーの審査を受けて進出を試みたのだが。

NYを離れ何度か出張していた私。家内は実に三十二年ぶりの念願のセンチメンタル・ジャーニー。娘は私達がNYから帰国後浦和で生まれたので、彼の地は始めての旅となった。

展覧会は順調であった。オープニング・パーティにはアメリカ在勤の長男一家もかけつけ参加した。
日本で無名に近い十一人のイラストレーターの作品群は荒削りだが野性味に富んで、地元NYの業界でもまぁまぁの評判のようであった。まずは小手定の発表会としては成功だったのだろう。

時間を見つけて昔住んでいたフォーレストヒルズに行った。

Y新聞の記者のおくさんだった香川京子さんの住んでいたアパートも健在だった。勿論われわれのアパートも健在だった。フォーレストヒルズの百八丁目のピザ屋さんもあり、懐かしく、チーズがいっぱいのピザを思いっきり食べた。年中あいていたユダヤ人の食料品店デリカテッセン、スーパーマーケット、床屋さん、洋品雑貨店・・・昔からある店を覗いては、娘に家内が一生懸命当時のことを話していた。わたしはこれまで何度か出張時に昔住んでいた家とか家主(隣人)とかには会ったことがあったのだが。妻にとってニユーヨークは生活の場であり、子育ての場だったので、私の比でない想い出が詰まっていたのであろう。それまでは家族が集まった時にニューヨーク駐在時の話などすると、NYを知らない娘に多少遠慮があったが。熱心に聴いていた娘を見てNYに三人で来てほんとうによかったと思った。

せがれ達家族が週末にデトロイトからやってきた。駐在六年になる長男は金曜日の夜中にホテルに着いた。週末二泊の貴重な時間なのだろう。忙しい息子達の希望を前もって聞いていた。七歳の孫娘、十月に二歳になる孫息子。彼らのために私は一生懸命計画を練った。プラザホテルの前で馬車に乗りセントラルパークを散歩。そしてシュワルツでおもちゃを買おう。嫁が子供達のために自然博物館と自身のためフリーマーケットを希望してきた。いいだろう。わたしは馬車とおもちゃ屋を断念したが、ひとつだけ我を通した。

孫達と一緒にマンハッタンを船で一周することだ。ちょうど三十四年前、両親と当時美大生であった妹が僕達を訪ねてくれたときのように。四十二丁目の西端の客船乗り場で船に乗り、ダウンタウンへハドソンリバーをくだる。三十九年前もそうだった。マンハッタン島南端の海上沖にある自由の女神をみながらUターンしてマンハッタン東側のイーストリバーを北上。国連ビル、今でもわたしの会社の職場があるパンナムビル(その後パンナムは倒産し今はメト保険ビルと改称)を左に眺めながら、アッパータウンへ。トライボロブリッジ(クィーンズとブロンクスとマンハッタンを結ぶ三合橋)を潜る。かつてコロンビア大学生が構内の五十メートルはあろう岩の上から飛び込んでいた場所を通り懐かしかった。そして、再びハドソンの上流へ合流しマンハッタン島西部をアップタウンからミッドタウンへ。ハドソンに合流してすぐだった。娘と楽しそうにしゃべっていた孫娘が「あ!マンガで見たごみ舟が来た!」と。タグボートに曳かれたゴミの艀が何艘も上流からひかれてきたのだ。そうか彼女はこのゴミの船を何年かあとで思い出してくれるのだろう・・・。

遂にマンハッタン北部とニュージャージー州をむすぶ巨大なジョージ・ワシントンブリッジが見えてきた。あの橋を渡ってよくニュージャージーにゴルフに行ったものだ。長さ1,450メートル、水面からの高さ184メートル、二階建てのつり橋。上部は1931年、下部は1962年に完成。上下部とも十二車線。なんと大きな橋なのだろう。しかも戦前に造った橋の下部にも後日橋を架けるべく強度を考えていたなんて。われわれ日本の先輩達はとんでもない国と戦争をしたものだと、つくづく思ったものだ。今回のマンハッタン島一周航海ではコロンビア大学生が岩から飛び込んでいなかったのは偶々なのか時代の変化なのかわからない。だが船に乗ってすぐ通過するはずのダウンタウンのワールドトレードセンタービル(当時は二つのうち一つだけ出来上がり、一つは建築中)がなくなっていたのには胸がつまった。わたしたちが売り込んだH形鋼、Iビームたちがメルトダウン(溶けてしまったのだ)したのだ。人間の造ったものはそのうち壊れるが、岩盤でできたマンハッタン島はびくともしていなかった。

それにしても歳とった明治生まれのわたしの両親は四国からよく来てくれたものだ。時代が大きく異なりお金も、時間も、体力も今とは比べようもない時代だった。日本からの移動で時差を最も感じるニューヨークへ。今はいない両親にあらためて感謝。当時、五歳と三歳の長男、次男は往時のことはほとんど憶えていない。何も知らないわたしの孫達と今回はじめてNYの仲間入りした娘は航海を十分楽しんでいたようだ。船に乗ってかなりの時間二歳になる孫息子を抱いていた私。はたして、わたしのガイドで七歳の孫娘はこの船旅とマンハッタンを覚えていてくれるだろうか。孫息子はどうだろう。

以上は5年前のはなしだが。今年3・11以降地球的規模でサムシング・ロングである。

「天地自然の法則の雄大さ、人間の無力さ、果てしない宇宙の運動など、人間の知恵で測れるものではない。因果応報がまことの真実であることは、有形界も無形界も同じであって、決してまやかしでないことを、私たちは、実際に耳や目に触れた事柄を証拠に信じたい。言葉も行動も悪も避けて善に近づき、先人に対しては、辛苦に耐えて生きた功徳に報い、後の世の子孫のためには、文明進歩の糸口を開きたいと願うだけである。」

今、愛読している「福翁百話」の一説を今日も又読み、明日もがんばろうと思った次第である。

 
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